蕎麦の麺をすすることの意味は?
日本人である私達はその意味を問うこともなく麺は迷いなくすすりますよね。
その中でもどことなく上品さがある蕎麦ですが、蕎麦をすすることに意味があります。
蕎麦は蕎麦の独特な香りがありますが、その香りは楽しむために鼻ではなく口ですすり香りを楽しむという言い伝えがあります。
鼻で香りを嗅ぐよりは口の中で香りを味わう方が蕎麦の香りをより楽しむことができるそうです。
日本は古くから食事に関するマナーがあり、音を立てて食べることは禁止されていましたが、江戸時代から蕎麦は庶民の食べ物として知られ、小腹を満たす程度の食べ物と認知されていました。
仕事の合間や完食として屋台などで蕎麦が出回り、マナーも気にせず勢いよく食べれる物として認識されたのではないかと言われています。
そして、その麺をすすることが蕎麦の香りをより楽しむことができるとなると一石二鳥だったということでしょう。
麺をすする意味がわからない日本人も多い
日本人にとっては、うどん、蕎麦、ラーメンの麺はすするのは当たり前の行為ですが、海外の多くがすすって食べることはマナーとしてご法度な国が多いです。
しかし、日本に観光などで滞在しているのであれば麺をすすったって良いのですが、よっぽどの日本通な外国人しかその行為はしなく、すすって食べる外国人は稀でしょう。
その理由を聞いてみると…
・すすることで服や周りが汚れる
・すすって食べる勇気がない
・すすり方がわからない
というやはりそこそこの文化で食べる時にすする行為がなければ、抵抗やすすり方がわからないのです。
それでは、なぜ日本人は麺をすすって食べるのでしょう。
その理由をはっきり正確にわかっている人がいるのでしょうか。
正確に言えば、「麺はすすって食べるもの」という認識がされており、「すすったほうが美味しい」「食べやすい」「すすったほうが冷めるのが早い」このような意見は後付けにすぎないでしょう。
麺をすする行為自体に意味がある?すすらずに食べることは変?
「麺をすすって食べることに意味がある」と考える日本人でもその意味の明確さをはっきりわかっている人は少ない。
ラーメン屋に入りイタリアンのように静かに食事をする雰囲気だったらどうかと問われるとそれはきっと疑問に思うでしょう。
それはなぜか。
「ラーメンはすすって食べるものだから」と多くの日本人は口を揃えて言うでしょう。
私も、ラーメン、うどん、蕎麦は当たり前にすすって食べますが、その意味を問われると何故かわかりません。
「生まれた時から周りが麺をすすって食べているから」「麺はすするもの」、このような答えしか浮かばないのが正直な所であります。
日本の食事のマナーとして音を立てて食べることはご法度ですが、なぜ麺は良いのか不思議ですね…
日本人の私達がそのように思うなら外国人はこの食事のマナーはもっと疑問に思うでしょう。
すすって食べてもOKな麺・NGな麺
日本人は麺をすすって食べますが、全ての麺がすすって音を立てて良いわけではありません。
ラーメン、うどん、蕎麦の日本特有の麺はすすっても良いですが、パスタやスープのような西洋の麺類はすすってはいけません。
確かにラーメンはすすって食べても、パスタをすすって食べる人はあまりいませんよね。
たまにラーメン感覚ですすって食べる男性を見かけますがそれは日本の食事のマナー違反なんですよ。
そのような人が身近にいたら注意してあげてくださいね。
ラーメンは中国発祥の食べ物ですが、中国と日本ではラーメンに対しての認識が違います。
そのため食べ方も異なり、中国人がラーメンをすすって食べることは決してないのです。
日本人はラーメンは汁と一緒に食べる食べ物という考えに対し中国ではラーメンの麺と汁は別の物と認識するため、麺をレンゲに乗せて音を立てずに食べるのです。
同じ食べ物の認識が違うと食べ方も違うなんてなんだか不思議ですが、中国に行った際はその国の食文化に合わせて食事のマナーを守って食べてくださいね。
麺をすする音をヌードルハラスメントと呼ぶ声も
みなさん「ヌーハラ」という言葉をご存知でしょうか。
あまり聞き慣れない言葉ですが、ハラスメントの一種で日本人がヌードルをすする音をヌーハラと言います。
世界の多くの国では麺はすする事はご法度です。
唯一日本だけが麺を音とを立てて食べることが許されているといいます。
このような食のマナーを理解できない外国人が多く、麺だけではなくお茶漬けや味噌汁をすする音はトイレの流す音を連想させてしまうそうです。
それでは、周りに外国人がいたら日本人が気をつければ良いのか。
母国の日本で慣れないことをするのはとても苦痛ですし、腑に落ちない部分もありますが、このヌーハラという言葉がある以上少なくとも周りに外国人がいたら気をつけるべきだと考えます。
しかし、相手の外国人もここは日本であることを理解する必要もありそうですね。
異文化交流はお互いの文化を理解する必要がありますから、どちらが悪いということではないですね。